使徒行伝第2章42節「そして、彼らはひたすら使徒たちの教えと交わりを持ち続け、パンをさくことと、祈りを持ち続けた。」 使徒たちの交わりはまた、「御父との、また御子イエスとの交わり」とも呼ばれています。「交わり」のギリシャ語訳は、「共にあずかること」、「共同であずかること」を意味します。その意味で、わたしたちはキリストにあるすべての信徒を受け入れます。その人がどんな見解を持っていようとも、救われている信徒であれば喜んで交わりを持ちます。
ただ「除かれねばならない罪」を犯している者だけは受け入れるわけにはいきません。その一種類はコリント人への第一の手紙第5章に言っている「幾種類かの大変汚れた、主の名を辱める罪を犯し続けている者」です。もう一種類はヨハネ第二の手紙で言っている「キリストの教えを踏み越えている異端者」です。それは「キリストは神ではない、肉体をとってこられたのではない、彼の死はわたしたちの罪を担ったのではない、彼はわたしたちを贖うことができない、彼は死んで復活しなかった」と言っている人のことです。このような異端は、今日で言う「新神学」(Modernism)、反キリスト「不信派」の信仰です。これらは極めて邪悪な罪です。キリストの教えの中にとどまらない者は、神を持っていません。